「半農半あきない」実践録

「自給農」「あきない」を中心とした、日々の所感実践録

2014-01-01から1年間の記事一覧

山笠があるけん博多たい。

日本武尊東征凱旋の途、 秩父武甲山に憩い給いて武器を蔵め(おさめ)給う。 故に武蔵国と称すと云う。 徳川氏乱を壊って(はらって)、 而る後天下の武将を江戸に蔵むるも亦武蔵と謂うべし。 寺田一清『二宮尊徳 一日一言』 改めて、日本各地の地名の由来が…

足踏みシーラー専門店の開店

夫れ小を積めば則ち大と為る。 万石の粟は則ち一粒の積、 万町の田は則ち一耒(イチライ)の積、 万里の路は則ち一歩の積、 九仞(キュウジン)の山は則ち一箕(イッキ)の積なり。 故に小事を務めて怠らざれば則ち大事必ず成る。 寺田一清『二宮尊徳 一日一…

微生物分解トイレのメーカーさんとお仕事

足もとの紙クズ一つ拾えぬ程度の人間に何が出来よう。 寺田一清『森信三先生 一日一語』 ドキッ!としました。 気にはなるけど拾えない。 特に、東京・大阪で暮らしていた時なんてそうでした。 やっぱり人の目が気になるんですね。。。 相変わらず難しいので…

2014年・自給用有機無農薬稲作の上半期を振り返る(半農半あきないin山口宇部)

人間の偉さは才能の多少よりも、 己に授かった天分を、 生涯かけて出し尽すか否かにあるといってよい。 寺田一清『森信三先生 一日一語』 2008年、29歳の時に、半農半Xという言葉に出会い、 二宮尊徳の「報徳」に大きな影響を受けているせいでしょうか。 こ…

怪しい!?

予が歌に 「飯と汁木綿着物は身を助く、其の余りは身をせむるのみなり」 とよめり。是れ我道の悟門なり。 能々徹底すべし。 予若年より食は飢を凌ぎ、衣は寒を凌いで足れりとせり。 只この覚悟にして今日に及べり。 わが道を修行し施行せんと思ふ者は、 先づ…

セミナー強化月間

6月が終わろうとしています。 福岡・山口は、梅雨らしさが感じられず、人間にとっては比較的過ごしやすい1ヶ月でした。しかし、季節は季節通り廻ってくれないと、何となく不安ですね。 自分で田んぼ始めてから、そんな感じが強くなりました。 *** 2008年…

正解は???

国に分度なき時は幾万の財を入るるといへども、 破桶に水を入れるるが如く一滴も保つこと能わず。 今子の君家、極難なりと雖も明かに分度を立て 節度を守り仁術を行ふ時は、国の復興難しとせず。 寺田一清『二宮尊徳 一日一言』 借金を返済せず、バンバンお…

生まれ故郷と友人たち

先生諭して曰く、 汝富を得るの道を知らざるが故に窮せり。 夫れ天地の運動頃刻(ケイコク)の間断あるなし。 この故に万物生々息まず(ヤマズ)。 人之に法り、間断なく勉励する天の運動の如くならば、 困窮を求むると雖も得べからず。 寺田一清『二宮尊徳 …

イセヒカリと出会う

コシヒカリ。 言わずと知れた、日本を代表するうまい米です。大学時代のサークル(昔ながらの田んぼの会)でお手伝いしていた田んぼも、コシヒカリでした。 そして、「半農半あきない」という生き方をスタートさせた去年も、農協から購入したのはコシヒカリ…

あきないの一環!?

佛に所謂因果とは何ぞや、 種を蒔けば実を結ぶ是なり。 夫れを善因に善果あり、悪因に悪果あり。人皆之を知る。 然れども目前に見(あら)われずして数十歳の後に見わる。 故に人之を畏れず。況んや前世の因縁に於いてをや。 寺田一清『二宮尊徳 一日一言』 …

久しぶりの日本語教育

村長若し謙譲を主とし、奢を禁じ、約を守り、分を縮し財を推し、 以て貧民を済わば則ち貧民感動し、 きん(音に欠)艶依頼の念消して、 勤労を厭わず、悪衣悪食を恥じず、 分を守るを以て楽と為す。 然らば則ち汚俗を洗い、廃邑(はいゆう)を興す、 何の難…

田植え

玄米食は、我われ日本人には「食」の原点である。それ故玄米食を始めると、かえって味覚が鋭敏になる。 寺田一清『森信三先生 一日一語』 自宅では、大学時代に参加していたサークル「昔ながらの田んぼの会」でお世話になった農家の方に、毎年いただく有機無…

「あきない」も分度

樹木を植えるに、根を伐る時は、必ず枝葉を切り捨つるべし。 根少なくして、水を吸う力少なければ枯るる物なり。 大いに枝葉を伐りすかして、根の力に応ずべし。 然かせざれば枯るるなり。 寺田一清『二宮尊徳 一日一言』 6月、福岡、山口ともに梅雨入りです…

新潟出張

すべて物事は、その事の真髄への認識と洞察が根本で、 真に認識に徹したら、動き出さずにはいられぬはず。 ところで認識への手引きはヤハリ生きた書物でしょうね。 寺田一清『森信三先生 一日一語』 本質が何かを考えること。 前職時代、後輩や部下を指導す…

田んぼの女神??

我が道は、人々の心の荒蕪を開くを本位とす。心の荒蕪一人開けるときは、地の荒蕪は何万町あるも、憂うるに足らざるなり。 寺田一清『二宮尊徳 一日一言』 心の荒蕪が開ければ、物事に憂いなし。 心強い言葉です。 *** 実は、、、今日。 明日の代かき(荒代…

古事記の勉強会 福岡

棟梁の材と細工人の能とは別なり。人各々得る所あり。一家に於いて然り。一国に於いて然り。 寺田一清『二宮尊徳 一日一言』 人それぞれに良さがあり、人それぞれの生きる生かされる道がある、 という教えだと思います。 壮大な夢を描くのも悪くないですが、…

同窓会の再開

事の成否は 恩を記すと恩を忘るるとに係る。 前恩を記し 以て之を報ぜんと欲する者は 事を作せば必ず成る。 前恩を忘れて 後恩を貪る者は 事を作せば必ず敗る。 故に成ると敗るるとは 恩を記すと恩を忘るるとにあるのみ。 寺田一清『二宮尊徳 一日一言』 恩…

農作業三昧(連休の過ごし方)

食事をするごとに心中深く謝念を抱くは、 真人の一特徴というべし。 それだけに、かかる人は意外に少ないようである。 寺田一清『森信三先生 一日一語』 「ご飯を一粒残さず食べる」 「米粒残したら目がつぶれる」 小さい頃はこんなことを毎食、 母や祖父母…

日本の歴史に学ぶ会 福岡

遠きを謀る者は富み、近きを謀るものは貧す、 夫れ遠きを謀る者は、百年の為に松杉の苗を植う、 まして春植て、秋実のる物に於いてをや、 故に富有なり、 近きを謀る者は、春植えて秋実法る(みのる)物をも、 猶遠しとして植えず、只眼前の利に迷ふて、 撒…

種蒔神経衰弱

多少能力は劣っていても、真剣な人間の方が最後の勝利者となるようです。 寺田一清『森信三先生 一日一語』 「最後の勝利者」を、どう定義するか? 人によって分かれますが、 自分の「最適解」に向き合い、 その最適解に叶う生き方を実践することしかないの…

腰痛苗床づくり

米まけば米の草はえ米の花さきつつ米のみのる世の中 寺田一清『二宮尊徳 一日一言』 中国出張から帰ってきて、4月26日(土)、遅れていた苗床づくりをしました。 5畝という小さい田んぼなので、苗はそれほど沢山必要なわけではなく、苗床も育苗箱10枚分くら…

食は広州にあり

何事も事足り過ぎて事たらず徳に報うる道をしらねば 寺田一清『二宮尊徳 一日一言』 両親や身近な家族に、改まって感謝を述べるとなると照れくさいので、中々出来ませんが、些細なことでも、 「ありがとう」 を口にすることを習慣づけたいです。 恩徳を感じ…

ウイグル族の学生のこと

今回の中国出張で、空港の手荷物受取レーンに行くと、 「ウルムチ」 からの便の手荷物も流れており、何となく日本語教師時代を思い出しました。 大学卒業して2年間、福岡の日本語学校で教えていたのですが、当時、新疆ウイグル族の学生を何人か担当しました…

久々に中国へ

先週水曜日の夜に東京出張から戻り、日曜日までの4日間、 ・中国出張の準備 ・親戚のおじさんとワラビ乱獲、タラの芽、竹の子少々 ・そば打ち教室 ・育苗の資材購入 ・福岡・東林寺の座禅会 ・古事記の勉強会 と盛りだくさんで、1週間ぶりのブログアップ@中…

お江戸百年塾に参加する

日常の雑事雑用を、いかに巧みに、要領よくさばいてゆくか。そうした処にも、人間の生き方のかくれた呼吸があるといえよう。 寺田一清『森信三先生 一日一語』 東京の単身赴任生活を終え、4月から宇部の自宅に戻っていますが、改めて家事、子育ての苦労を目…

種籾の消毒と低温浸種

書を読んで躬(み)に行わざる者は、猶ほ鍬を買って耕さざるがごとし。 耕さずんば、則ち何ぞ鍬を買うを用いん。 行わずんば、則ち何ぞ書を読むを用いん。 かつ読書と躬行と相まつは、 なお布綿に経緯あって後成るがごとし。 読書は経(たて)なり。躬行は緯…

育苗用の培土作り

同僚より五分前に出勤する心構がまえ。それが十年も積み重ねられたとき、いつしか大きなひらきとなる。 寺田一清『森信三先生 一日一語』 毎日5分x365日=1,825分(30時間) 30時間x10年=300時間 塵も積もればで、結構な時間になります。 細切れ5分間で集…

武雄市図書館であきないを学ぶ

先日、新潟三条から来たメーカーの方を、佐賀の武雄に送りに行ったのですが、帰りに武雄市図書館に寄ってみました。 武雄市は、福岡市内から90㎞近く離れたのどかな市なのですが、この図書館が町おこしに一役買っているのは明らかでした。 市長がユニークな…

初めての来客

人間のシマリは、まず飲食の慎みから。 次には無駄づかいをしない事。 そして最後が異性への慎み。 寺田一清『森 信三先生 一日一語』 「我慢する」というと、 内に抑え込む=ストレスが溜まる、蓋をしても内部でグツグツ煮えたぎっているような荒々しいイメ…

生活の変化(通勤編)

釈尊の説かれた「無常」の真理とは、 「この世では いつ何が起こるか分からぬ」 ということです。 それ故われわれは、常にこの「無常」の大法を心して、 いつ何が起ころうと驚かぬように心しなければならぬ。 寺田一清『森 信三先生 一日一語』 平家物語だっ…