平和教育の行方
不仁の村を、仁義の村にする、
甚だ難しからず。
先ず自分道を踏んで、己が家を仁にするにあるなり。
己が家仁にあらずして、村里を仁にせんとするは、
白砂を炊(かし)いで飯にせんとするに同じ。
己が家誠に仁なれば、
村里仁にならざる事なし。
寺田一清『二宮尊徳 一日一言』
戦前は、「勤勉なれ」と共に、封建思想の強化のため、尊徳を学ばせていたようです。
戦後の民主化と高度経済成長の中、学校教育では「尊徳は封建思想の象徴」のように避けられるようになっていった面もあるようです。
『夜話』、『報徳記』を読んでいると、国民(主に農民)に、ただただ主従関係に忠実であるべきというようなことは読み取れません。
むしろ、藩の重役にある家老に対し、「まず家老自信が、行動を持って示すべき」と厳しく要求する場面が多く出てきます。
今日の一言も、それが垣間見える引用文です。
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今日、8月6日は広島に原爆が投下された日です。
出勤する前に、母と原爆記念式典の中継を見ました。
何年ぶりに見たのか思い出せないくらい、久しぶりでした。
8時15分の1分間の黙とうも一緒に出来ました。
これも、学生以来ではないかと思うくらい、久しぶりでした。
少なくとも会社員で働いていた昨年までは、出勤時間なのでこの中継は見られませんでした。
そもそも、毎日の仕事に追いまくられ、この時期は盆休みの秒読みで、ソワソワしていたことが多かった気がします。
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平和教育はどこへ???
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いつもより遅く出勤して、男3兄弟を持つ兄と話したところ、この原爆の日に小学生になる上の2人は登校日ではないとのことでした。
確か、僕や兄が小学校の時は、8月6日は平和教育の日で、登校していた記憶があります。校内放送を聞いて黙とうし、「はだしのゲン」を見たり、戦争体験のお話を聞いたりしていたと思います。
面倒だと思いながらも、いつのまにか「はだしのゲン」を夢中に見て、戦争の悲惨さを子供ながらに感じていた気がします。
今なぜ、この日に平和教育をしていないのでしょうか?
今度、小学校教員をしている友人に聞いてみようと思います。
合掌