小田原を訪ねる
古来女をつくる事は易いが、手を切ることがむつかしいといわれる。
同様に仕事を始めることはやさしいが、シメくくりをつけることは難しい。
いわんや人生のしめくくりにおいておやである。
知らず、何を以てこの世の〆めくくりと考えるべきか。
寺田一清『森信三先生 一日一語』
物事の引き際、去り際。難しいものです。
去年東京を去っていたのが良かったか否か、正直解りかねますが、ある面では良く、ある面ではそれほど良くなかったとも言えます。
二宮尊徳から学んだことですが、
「本来、物事に善悪なし」
で、立ち位置によって良い悪いが決まってくるということ。
良い面、良くない面を両方理解したうえで、次に進んでいきたいです。
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3月31日まで出勤したいというのと、仙台から会社の先輩が来てくれるということで、この週末は宇部に帰らずに東京にいます。
土曜日が好天に恵まれ、日曜日が荒れ模様という予報が出ていたので、昨日、念願だった小田原を訪ねました。
東京にいる間に時間を取って行きたかった小田原。
二宮尊徳が生まれた場所であり、現在は小田原城近く(というか殆ど敷地内)にある、
・報徳二宮神社
・報徳博物館
に行ってきました。
小田原城では桜まつりということで、結構な人出で、広々とした城址公園をカップルや家族連れがのんびり散歩してました。
一寸風が強かったのですが、春らしい穏やかな日で、明るい雰囲気でした。
まずは二宮神社にお参り。
(桜咲いてましたが、ソメイヨシノではなさそうでした。ピンク味の強い桜)
(昔、小学校にあった金次郎像。立札に説明書きが)
次に、報徳博物館を訪れました。
(二宮神社から道を挟んで徒歩1分。小さな建物です。)
ワンフロアだけの小さな展示室でしたが、1時間半、じっくりと拝見しました。
年表を見ると70歳で亡くなっていたのが分かり、吃驚しました。
自分の中で人生70年、36歳になる今年は後半生の元年と考えていて、偶然にも尊徳が生きた年数と一致していたので。
当然、70歳から先ももっと生きたいですけどね(笑)
こればかりは自分では決められないので。
尊徳(自称・金治郎、公文書・金次郎)は、幼少期に天明の大飢饉、後半生は天保の大飢饉と大変な時代を生きたようです。
貧困、疲弊した農村の立て直し(仕法と呼んでますが)、大借金を抱えた大名の財政立て直しに力を発揮されたのですが、とても緻密に計算をしていたのが伺われます。
そして、「報徳」という言葉にあるように、天地自然の恩徳、先祖の恩徳、他者の恩徳に報いるというのが、彼の全実践の原点になっていました。
昔は小学校に金次郎少年の銅像があったのですが、「勤勉さ」「真面目さ」という表面的な徳義を子供に押し付けている、
それが現代の教育方針(自由で、民主的で、個性的な自立した個人を育てる?)に反するということで撤去された面も少なからずあったようで、残念な思いです。
二宮神社にあった説明では、「戦時中に供出された」と書かれてましたが、本当のところはどうなんでしょうか?
いずれにしても、二宮尊徳から学ぶべきは、
「苦労しなさい」
「勤勉でありなさい」
ということではなく、
何故、尊徳がそのような行動、実践をしていたのかという背景(2度の大飢饉とそれによる社会の混乱)と、彼が何を根本に置いて実践に努め、人生を送ったか、
だと思います。
そういう意味で、小学校時代の道徳の時間に出てくる金次郎逸話、または金次郎像を通して、学校の先生が教えていたことは、本義でなかったと感じています。
薪を背負って本を読むのが良いのではなく、なぜ薪を背負ってまで『大学』を読んだのか?
なぜ読んでいる本が『大学』なのか?
※多分、論語でもあったと思います。
今も道徳の時間で二宮金次郎の逸話を教えているのであれば、表面的な徳義ではなく、もっと踏み込んだ内容であってほしいと願います。
翻って僕自身の事ですが、
家族で昔ながらの米作りをしながら、尊徳に学び、流行含めた現代の感覚も失わずに商売で学びを生かし実践していく。
今年は、その元年にしていきたいです。
ちなみに、、、
小田原の報徳博物館の料金は大人200円。
小田原に来たら、是非、立ち寄っていただきたい場所です。
合掌