コイのこと
自己の道は自己にとっては
唯一にして絶対必至の一道なれど、
他から見ればワン・オブ・ゼムたるに過ぎない―
との自覚こそ大事なれ。
そしてこの理を知ることを
真の「自覚」とはいうなり。
寺田一清『森信三先生 一日一語』
One of themの自覚。
でも自分には絶対の一道であること。
自分の思いを、他者に押し付けることない謙虚さと、ブレることなく自分の信念を貫くという力強さを持ちたいです。
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コイの思い出
「コイ」といってもに、恋愛のことではなく、
魚の「鯉」です。
鯉のあらいを堪能!
大学1年の冬、スピードスケートの大会で、長野県小海町に行った時のこと。
翌日に3,000Mのレースを控えた夕食で、「鯉のあらい」を食べました。
今考えると、スポーツ選手が大会前に生ものを食べるなんて、考えられないですね。
19歳当時なんて、身体丈夫だし、何にも考えてなかったのでしょうね(苦笑)
2時間後にエライことに・・・
「さあ、明日のレースに備えて、スケート靴の刃を磨くか!」
というところで、激しい腹痛が。
それから、一晩中、嘔吐と下痢。
レース直前までトイレに籠っていました。
欠場も考えましたが、先輩に申し訳ないという気持ちから、出場しました。
氷点下の屋外で、スケートのワンピースを着て3,000Mを何とか滑り切りました。
もうタイムなんてどうでもいい、という感じでした。
その後、1週間以上まともに固形物が食べられずに、一人暮らしのベッドに横たわり、ゲッソリしていたのを覚えています。
ちなみに、当たったのは僕だけで、他のメンバーはケロッとしてました。
再び「鯉のあらい」に対峙
そんな苦い、苦しい思い出がある鯉です。
先日、父に誘われ、皆で連れ立って佐賀県小城市に、鯉のあらいを食べに行きました。
大学時代のことは、何度か話して敬遠していたつもりですが、
「大丈夫、大丈夫!」
と家族から一蹴されました。。。
福岡から高速道路で1時間。
http://www.ogi-kankou.com/koifood
そして、いよいよ17年ぶりの因縁の対決。
酢みそをつけて、食べる「鯉のあらい」は…
絶品でした。
(これで2人前。)
清流で育てた鯉は、臭みが全くなく、コリコリぷりぷりの食感。
まるで清流の水源から、水を手ですくって飲んだような爽やかさでした。
2時間後、特に体調の変化もなく、完全に「鯉アレルギー」は無くなりました。(笑)
鯉は、食欲増進や肝臓へも効能があるとのことです。
「佐賀でおススメの食べ物は?」
と聞かれたら、今なら間違いなく「小城の鯉と羊羹」と答えます。
合掌
再びイセヒカリ勉強会へ
自己と縁なき著名人の書を読むより、
縁ある同志の手刷りのプリントを読む方が、
どれほど生きた勉強になるか分からぬ。
これ前者は円周上の無数の一点に過ぎないが、
後者は直接わが円心に近い人々だからである。
寺田一清『森信三先生 一日一語』
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「イセヒカリで地域活性化」に取り組んでいらっしゃる、岩国イセヒカリ会の佐古建彦さんを講師にお迎えして、お話を伺いました。
5年前に63歳で岩国に戻られる前までは、バリバリの商社マンということで、中国での大有機農園プロジェクトのお話、今取り組んでいる「若者が生業に出来る市場性ある作物の栽培」のこと、稲の慣行農法と自然農法、有機農法のことなど、幅広い経験と知見に基づいたお話で、あっという間の講演時間でした。
イセヒカリをきっかけに集まる人々
今回、3回目のイセヒカリに関わる勉強会でした。
1回目は、長くイセヒカリの有機栽培をされている藤井治郎さん。
2回目は、山口とイセヒカリが出会うきっかけを作った岩瀬さん。
3回目は、岩国で精力的にイセヒカリ会の活動に取り組んでいる佐古宮司。
書籍や資料を読む学びも当然大切ですが、実際に取り組んでいらっしゃる方の生の声を聴くというのは、学びの立体感が違います。
そして、回を重ねるごとにイセヒカリに興味を持つ方、農業の再生に取り組みたいと思っている方、安心安全な食べ物を求める方など、実に多様な皆さんが集まってきています。
僕の場合、家族が共同で取り組む小さな自給稲作と、自分がワクワクでき、人の役に立つ商いの両立(農商両道)というライフスタイルを実践することで、今の社会の枠組みにとらわれない地方での魅力ある生活モデルになりたいというのが、目標です。
その中にイセヒカリという存在があるのが、いいなぁと直感しています。
来年度はイセヒカリを・・・
なかなか簡単には行かないと思うのですが、どんな形にせよ実践することが第一と思います。
義父の御蔭で、イセヒカリの種籾はいただけそうなので、まだ今年の収穫前ですが、
来年のイセヒカリ作りを考えると今から楽しみです。
合掌
カタメのおもひで
先生曽て(かつて)曰く、
凡そ事を成さんとして成就せざるものは
速やかなることを欲し、一挙にその業を遂げんとするが故なり。
幾万の廃地を開かんとするも一鍬(いっしゅう)より始め、
幾百邑(ゆう)を再復せんとするも
必ず一邑より始む。
一邑全く成りて然る後にその二に及び、
順を以て十百千万に至る。
譬えば(たとえば)一歩を積みて
千里の遠きに至るが如し。
寺田一清『二宮尊徳 一日一言』
「邑(ゆう)」は、「村落」の意味です。
それなりに準備をし(たつもり)で、大きな期待をし、気合が入っていることほど、
早く眼前に結果を見たいという気持ちになってしまいます。
自分の中で成功への道、物語を描き過ぎると過度の期待に繋がってしまいます。
よくよく考えたら、狙い通り、計画通り行かないことの方が多かったような気がします。
でも、目標や計画を持つことは絶対に必要です。
大切なのは、結果を焦らず、目標や計画との距離感を見つめ、今できることに確実に取り組んで行くことだと、改めて感じています。
以前聞いた岩田松雄さんのお話にもあった、「振り返った時に、点が線になる」ことを心に留めておきたいです。
***
9月になりました。
昨日、一昨日は、山口宇部も朝晩涼しく、窓を開けていると朝方は風邪を引きそうなくらいです。
人間の頭の中は、アトランダムになっているようで、何の脈絡もなく過去のある時を思い出したり、未来のことを想像したり、そんなことが良くあります。
頑固一徹
前職時代の2008年、毎週、大阪に出張していた時期がありました。
大阪での宿泊は、取引先会社さん工場から徒歩で行ける距離にあるホテルでした。
かなり老舗で、夏季は廊下が灼熱地獄でした。
朝食は2階の食堂でいただくのですが、あまり接客慣れしていない地元のオジサンらしき男性に食券を手渡し、和食か洋食を選びます。
洋食は、厚切りトースト、目玉焼き(卵2個、レア焼き)、サラダ、ホットコーヒーという内容で、連泊しても昨日と今日で頑固なまでに同じ内容でした。
カタメで注文…
ある時、目玉焼きをしっかり焼いてもらいたいと思ったことがあり、食券を渡す時、オジサンに、
「固めでお願いします」
とお願いしました。
待つこと5分・・・
いつも変わらぬこだわりの洋食が出てきました。
でも、目玉焼きはしっかり固めに焼いてもらったものが・・・
と思ったのですが、
出てきた目玉焼きは卵1個で、いつものレア焼き。
「何で??」と思い、オジサンに確かめると、コテコテの大阪弁で、
「片目やと思いましたわ。固焼きやったんですナァ。」
という返答。
言葉って難しいですね。。。
というか、大阪では目玉焼きは、片目、両目なんて表現をするのでしょうか?
自分の言葉遣いを反省しつつ、何となく釈然としない気持ちで、
「レア焼き、片目目玉焼き」を慎重に食べたのを、アトランダムな脳ミソがふと思い出した9月1日の早朝でした。
合掌
価値判断と消費活動
人間関係―与えられた人と人との縁―
をよく噛みしめたら、必ずやそこには謝念がわいてくる。
これこの世を幸せに生きる最大の秘訣といってよい。
寺田一清『森信三先生 一日一語』
大学時代までは、縁あった人と繋がる努力は、あまりしていませんでした。
まめに連絡したりするのを、面倒に感じていたせいではないかと思います。
仕事で色んな方々とご縁をいただくようになってから、東日本大震災があってから特に、縁を大切にしようという気持ちが強くなり、今日に至っています。
独りよがりにならず、縁に対し、自分ができる恩返しを心がけていきたいです。
感謝することと、祈ることはいつでもできます。
でも、心に余裕がないと心がけられません。
心の余裕を持つためにも、まずは時間の余裕を作るのが今の僕の課題です。
***
4月~6月のGDPが、7.1%マイナスをいう記事を目にしました。
増税後に消費が冷え込んでいるようです。
僕の場合は、増税に関係なく、4月以降のお小遣いを減らした影響です(笑)。
まずは、頑張って家業に貢献します!
東京で会社員生活をしていた当時、環境NPOの地球村代表・高木さんの講演で、
「グリーンコンシューマー」
という言葉を聞きました。「地球環境を意識した消費活動をする消費者」というような意味で使われていたかと思います。
「地球環境を意識する」というのは、モノやサービスの価値を判断する一つの基準です。
地球環境というと、僕には壮大過ぎるのですが、最近は、
・不自然でないか?
・地元への貢献となるか?
・大量生産、大量消費を助長しないか?
・金儲け主義で自社都合だけの製品、サービスではないか?
みたいなことを心がけています。
家計を無視するわけにはいきませんので、自分の分度を保ったうえで、自分なりの判断基準をもって消費活動をすることが大切なのではないかと思っています。
そのような消費活動が、過当競争を無くし、食品について言えば、偽装、ずさんな品質管理(極端なコスト削減のしわ寄せ、弊害)を減らしていくはずです。
そして、一人一人が価値判断の意識を高めることが、本質的な経済対策になると思うのですが、どうでしょうか?
合掌
久々の大分訪問
真実というものは、
一点に焦点を絞ってピッチを上げなければ、
発火しにくいものである。
寺田一清『森信三先生 一日一語』
深刻になりすぎず、でも緩みすぎず、ちょうどいいバランスで丁寧に日々を過ごしたいと思っています。
でも、仕事の目標、やりたいこと、目指したいことの進捗と時間経過を照らし合わせると、そう心穏やかという訳にもいかない時があります。
大局観で、でも集中して、
ということでしょうか?
***
先週末、高校まで生まれ育った大分市に行ってきました。
住んでいた萩原地区に歴史ある「萩原祭り」というお祭りを、かれこれ10年以上ぶりに見物するのと、大分で頑張っている同級生に会うのが目的です。
(だいぶ商店がなくなってしまった「萩原商店街」)
(萩原祭りの山車です。小学校の時にお世話になった自転車店のおじさんと遭遇)
(昔と変わらず「長浜神楽」が出張演舞)
久しぶりに帰った地元。
(お世話になった親友の奥さんが、置いていてくれたメッセージに感動!)
新日本製鉄大分は変わらず大きな煙突、高い建物が全くない広い空は、変わらず懐かしい気持ちになりました。
しかし、学校を卒業した後も、ずっと地元・大分で過ごしている友人と、高校までの時間で止まっている自分を考えると少し寂しい感じもしました。
もう故郷と時間を共有できていないという感じでしょうか。
もう一度大分に住むことは、多分ないと思います。
でも、東京にいた時より随分と距離感が近くなり、友人たちとも交流できる機会が作れそうです。
さあ、少しずつ下準備もできてきたので、
来年は大分で小学校の同窓会を開催しようと企てています(笑)。
昔話をする同窓会ではなく、今のこととこれからのことを語れる同窓会にしたいです。
(最後は、大分名物「とり天」定食で締めました)
合掌
日照不足
借金を隠蔽するは
益々借金を増長せしむるの途なり。
宜しく之を神棚に飾りて、
念々返済を心かくべし。
寺田一清『二宮尊徳 一日一言』
尊徳(二宮金次郎)の『報徳記』や『夜話』に出てくる領主は、どれも借財で困窮していながら、身に沁みついた贅沢な生活をやめられない人ばかりです。
現代は、尊徳の生きた江戸時代(天明、天保年間)より、はるかにお金の仕組みが複雑になっています。
過去に自分が借りた金だけでなく、見えない形、見えにくい形で様々な「未来への借金」をしている恐れがあることに注意していた方がいいと思っています。
「未来への投資」と言える場合もありますが。。。
尊徳が「神棚に飾りて」というのが、個人的には面白いのです。
借金の重みを、八百万神々への祈りと祓(はらえ)と同じくらいの重みで心得るべき、というメッセージです。
***
8月に入って、台風、長雨と続いています。
近年のように連日猛暑でないので、人間にとっては過ごしやすいかもしれません。
しかし、この時期、農作物には、たっぷりのお日様が必要です。
今朝の宇部市も大雨で、広島では土砂災害も発生している模様です。
宇部で取り組んでいる自給用の小さな田んぼでは、稲穂がほぼ出揃っており、これから更に実りを深めていく大切な時期です。
(8月17日の稲の様子。だいぶ穂が出てきました)
専業農家の皆さんは、この日照時間の少なさに気が気ではないと思います。
1週間ほど前のニュースで、
「日照時間が、例年の30%程度」
しかないと報道していました。
それからも、刺さるような日差しも、うだるような暑さもありません。
1993年のコメ不作の再来、とならないことを願ってやみません。
一方で、今年のような天候、災害を通じて、自然と付き合う農業、稲作の重要性、低食料自給率の深刻さについて、一人でも多くの人が考えるきっかけとなることも願っています。
合掌
山下清展 in 山口
天地の大父母なり。
国家困窮せば則ち
大父母を頼むの外、復(また)他術あるなし。
苟も(いやしくも)大父母を頼まば、
則ち興復せざるを憂えん。
何を大父母を頼むと謂う。
荒蕪を墾闢(こんぺき)し、穀粟(こくぞく)を算出する、
是れなり。
寺田一清『二宮尊徳 一日一言』
「天地(あめつち)」は、身近な表現にすると「自然」です。
この恩恵を感じるという意味で、山口宇部での自給稲作は大変役に立っていると感じます。
身近に自然を感じる機会が少ない都市部だと、台風や災害などで「自然は恐ろしい」ということは注目されるかもしれません。
でも、同じくらい、というかそれ以上の恩恵があります。
半農半X生活の実践、「宇部の農的生活」と「福岡のあきない」は、
僕にとっては、ちょうどいいバランスを保つ方法でもあります。
まだまだ完成形ではありませんが。
***
山口で山下清展をやっているのは、なぜか福岡のタウン情報誌で知ったのですが…。
ちゃんと見たのは初めてだと思います。
とても繊細なちぎり絵で感動しました。
この日は、福岡から義妹が来たので、彼女にはゆっくりと見てもらおうと思い、僕は2歳半の娘と一緒に見て回りました。
娘がヤーヤー騒ぎ始めると周囲に迷惑なので、駆け足で。
ちょっと大変ですけど、できるだけ小さい頃に感性を磨けるような機会を作ってあげたい思いです。
「長岡の花火」
(これは美術館前の立て看板。「長岡の花火」の印刷です)
のところで娘が立ち止りました。
前の週に行った秋吉台の花火大会では、怖がってまともに見られなかったくせに、
山下清さんの「長岡の花火」は喜んで見てました。
そして、一足早く展示室を出て、娘と二人で喫茶店へ。
オレンジジュースをドンドン飲む娘。
なんか娘とデートしたような気分で嬉しかったです。
山下清展は、またじっくり見たいです。
合掌