成形の功徳 | シュリーマン旅行記
冬は農閑期です。
「専業農家さんは、どんな風にこの時期を過ごしているのかなぁ」と興味あるのですが、僕の場合は、福岡での家業に比重を置いています。
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お下がり
来年70歳になる父から、最近は「本のお下がり」をもらうことが多いです。
以前、ドイツの考古学者、ハインリッヒ・シュリーマンの『古代への情熱』をもらい、読みました。
シュリーマンは幼少のころ、神話に出てくる「トロイア」の実在を信じ、初恋の幼馴染とそのトロイア遺跡の発掘を夢見ます。
そして、ゼロから事業を起こし巨万の富を得て41歳で事業から引退し、遺跡発掘に取り掛かります。
天才的とも言える語学能力が、彼の事業の成功に寄与したのですが、やはりそれ以上に「信じる力」と「情熱」が彼を突き動かしたのだろうと思いました。
本人が名付けたのか分かりませんが、『古代への情熱』っていう題名もいいです。
シュリーマンが日本に来ていた!
会社で父と話している時、たまたま「あのシュリーマンの自伝は良かったね!」と言ったら、「シュリーマン、実は日本にも来ていて、その時の記録本も出ている」という父の情報。
後日、講談社の新書『シュリーマン旅行記 清国・日本』を、またまたお下がりで父からもらいました。
早速、読み始めたのですが、シュリーマンの記録の細かいことに吃驚しました。
1868年から4か月くらいかけて、中国と日本を見聞しており、その当時の記録が非常に克明で詳細です。
当時の北京の街の様子、人々の暮らしぶりが鮮明に浮かぶので、とても読み応えのある一冊です。
シュリーマン旅行記と「成形の功徳」
今年何ができたかなぁと振り返ると、日記をほぼ皆勤賞に近いくらい付けていたことが分かりました。
森信三先生の『修身教授録』で、「成形の功徳」という講があります。
会合の名簿、議事録などなど、記録を形にして残しておくだけで功徳があるというお話です。
シュリーマン旅行記を読むと、この成形の功徳というのが良く実感できる気がします。
どんな形であれ、紙に記録しておくと何かしら役に立つかもしれません。
日常で「成形の功徳」を意識して、実践を継続していくのはなかなか難しいですが。。。
合掌
2014年の新米のお味は? | 半農半あきない in 山口宇部
職業とは、
人間各自がその「生」を支えると共に、
さらにこの地上に生を享けたことの意義を実現するために不可避の道である。
されば、
職業即天職観に、人々はもっと徹すべきであろう。
寺田一清『森信三先生 一日一語』より
4年後、40歳になります。
父が75歳。
祖父が亡くなったのが、確か76歳でした。
4年後に実現したいことがあります。
その為に、
年明けからというより、今から、自分のテーマである「二宮尊徳と報徳」について、
学び実践していかないといけない、という焦りに似た気持ちがあります。
出来てないから焦りを感じるんでしょうね。。。(笑)
恥ずかしいです。
***
いつ新米を食べるか?
我が家では、特に、いつ新米を食べるかというのは決めていません。
しかし、何となく、
「新嘗祭が終わってから、新米をいただく」
ということにしています。
12月もすでに1週間経過して、やや遅い気がしますが、
いよいよ待望の新米をいただきました。
玄米と7分づきで食す!
田植えや稲刈りで、田んぼに関わっていただいた皆さんや、お世話になった方々、玄米食をしたい知人友人に、「玄米か7分づき」で新米を心ばかり贈っています。
なので、その両方を試食しました。
(お茶碗に2種盛。左:7分づき、右:玄米)
籾摺りをしたとき、手に取って見た玄米の粒の大きさ、ツヤが、1年目の去年より良かったので「おやっ」とは思っていました。
実際に食べてみると、玄米の甘みが何とも言えず、
「おかずなしでもいけるねー」
というコメントもいただけました。
有難いことです。
しかし残念なことに・・・
来年のコメ作りが、今年同等かそれ以上にできるかどうか、
全く分かりません(笑)。
出穂後の水管理がよく分からず、状況見ながら水の出し入れしていたこと、
8月は冷夏と言っていいくらい長雨だったのに意外にも出来が良かったこと、
とても同じ状況が生み出せるとは思えません。
「とにかく取り組むことに意義がある」と言い聞かせて
皆さんの協力に感謝しながら、来年も自分なりのコメ作りをしていきたいと思います。
合掌
週末みかん収穫お手伝いツアー
一眼は遠く歴史の彼方を、
そして一眼は脚下の実践へ。
寺田一清『森信三先生 一日一語』より
人生を俯瞰し、
そして「今ここで何を大切に実践するか?」
俯瞰と実践も、ちょうどいい塩梅が大切だと思っています。
何のための実践なのか?
実践の結果は得たいというのが人情ですが、
春に蒔いた種籾は、秋まで手を尽くして収穫に至ります。
***
みかんの収穫を手伝おう!
兄嫁が蒲刈の出身で、実家がみかん農家です。
1日くらい手伝っても、大した戦力にはならないとは思いましたが、
「心意気が大切!」とばかり福岡から皆で大移動しました。
一口にみかんと言っても、色んな種類があるようです。
この地域では10月上旬から収穫が始まり、霜が降りるころまで、
雨の日以外は毎日収穫作業をとのこと。
(とある無人みかん販売所。「料金を100円多くいただいていたようなので、電話ください。」との張り紙)
残念ながら…
収穫の手伝いを予定していた前日が、雨だったため、
急遽、当日午前中は江戸時代の街並みが残る御手洗地区を視察しました。
(御手洗の町並み保存地区。歴史上の人物も多く訪れています)
午後からは何とか収穫ができる状況となったため、
いよいよみかん畑での作業を開始しました。
(子らは、軽トラ荷台ではしゃぎ回ってました。。。)
案の定
大して役に立てませんでした。
剪定の仕方、サイズの見立て、特にちゃんと熟れているかどうかを色で見極めるのが難しかったです。
作業している間、日光の当たる角度が変わったり、雲で少しでも暗くなってしまうと、みかんの色が違って見えてしまいます。
それで、ちょっと青いものを誤って剪定してしまったり。。。
市場に出す商品なのですが、かえってご迷惑をおかけしてしまったかもしれません。
来年は!!
1週間くらいの長期でお手伝いできると多少戦力になるのでは?
と、兄と白羽の矢を向け合っていました(笑)。
(二宮金次郎少年の像を発見。最近では珍しいです)
合掌
2015年のコメ作り準備 in 山口宇部 | 目指すは誰でもラクラクコメ作り
10月末からの中国出張、帰国して間もなく大阪出張と続きました。
その間、田んぼの事が気になっていました。
米の収穫が終わって一安心なのですが、後片付けというか、
来年の準備があります。
出張の合間を縫って11月上旬にした作業
11月上旬というのは、ちょっと作業のタイミングが遅いと思うのですが、
その1.貝化石を蒔く(倒伏予防に)
その2.トラクターで耕うん(親戚のオジサンにやってもらう)
その3.レンゲを蒔く(緑肥として)
をしました。
(麦わら帽子に入れたレンゲの種)
(3歳になった娘も一緒に蒔きました)
貝化石、稲わら、レンゲが我が家の田んぼの肥料になります。
それ以外は何も入れないラクラク農法です。
コメ作りについては、専門的なことをどこかで学んだわけではないので、
体系的な理論は分かりません。
長野で生活した大学時代(1998年~2001年)、
サークル「昔ながらの田んぼの会」で参加していた作業で見聞きしたこと、
それと、
「半農半あきない」に向けた準備期間(2008年~2010年)に、
松本の師匠のところに行って教えてもらったことくらいです。
ただ、、、
理論は分からなくとも、
しっかり観察して、一つ一つの作業の意味、
つながりとその因果関係を自分なりに考えること、は意識しようと思っています。
誰でもできる稲作
というと、
プロの稲作農家の方に怒られるかもしれません。
しかし、昔は、日本人の殆どが農家で、少なくとも自家用の米作りはどこの家庭でも行われていたはずです。武士も平時は農作業していたようですし。。。
なので、日本人は皆、「コメ作り遺伝子」をもっており、
その気になれば誰でもコメ作りができると思っています。(笑)
稲を託される場面があります。
このことからも、コメ作りというのは、
プロ農家の専売特許ではなく、
皆が取り組める、もっとも原始的本来的な生業ではないかと感じます。
軽んじるわけではなく、
それくらい、この恵まれた肥沃な土壌のある日本では、
コメは誰にでもできてしまう作物なのだと思います。
誰もが取り組むことができるコメ作りが、今のところの僕が目指す、
「半農」の中心部分だと感じています。
・なるべく石油を使わず、手作業で汗を流して主食を育て収穫する喜び。
・田植えや稲刈りなどの共同作業を通じて、繋がり深まる人間関係(家族、親類、友人、知人)。
・五感を刺激し、身体性と感受性を養う良さ。
身近にコメ作りをすると、こんな良さがあるのではないかと思っています。
経済的な両立が可能な小さなコメ作り。
そんな取り組みが増えれば、ご先祖が汗水流して耕作してきた故郷の農地も、
良い形で後世に繋げていけるのではないでしょうか。
「経済性」と「自立的な農」が両立できる生活の在り方を、
来年も探っていきたいです。
合掌
バイオトイレ、ペルーへ行く。
分を知るとは自己の限界の自覚ともいえる。
随って人間も分を自覚してから以降の歩みこそほんものになる。
だが才能のある人ほど、
その関心が多角的ゆえ、
「分」の自覚に入るのが困難であり、
かつ遅れがちである。
寺田一清『森信三先生 一日一語』より
夢を持つこと
「夢を持つのが大切」と言われて育つと、
夢を持たないといけない脅迫観念も出てくるような気がします。
以前、「九州歴史に学ぶ会」の占部賢志先生のお話で印象的だったのが、
志(こころざし)を持つということ。
誰もが卓越した事業家や、プロスポーツ選手、政治家といった所謂「成功者」(と思われる)になれる訳ではありません。
しかし、「人のお役に立つ」「日本人として恥ずかしくない生き方をする」といった志は、老若男女、地位や立場関係なく、全ての人が持つことができます。
夢は崩れるけど、志は崩れない
自分の限界を知ることで、夢は崩れることがあります。
しかし、同時に自分の天分を知ることができるかもしれません。
そして、そんな時、志を持って自分の分度を守り生きていくことの大切さに気付けるような気がします。
夢は大切、それ以上に志を持つことが大切
それを自分の子供や後世の人たちに、僕自身が実践することで伝えていきたいと思っています。
***
先日中国に出張したことを書こうかと思っていたのですが、ふと高校の親友のことが頭に浮かびました。
彼は、家業(移動式バイオトイレの開発製造)を継ぐため、地元・大分に戻り、この4月からいよいよ取締役社長になりました。
(トイレ革命と題して、TVで特集報道されたようです。見逃しましたが(笑))
こんな会社です。
↓↓↓
以前、彼と東京で会った時、「ペルー向けのODA事業を受注したい」と語っていたのですが、社長就任した今期にそれを見事に実現。
富士山にはすでに設置実績があるのですが、大分の小さなメーカーがペルーに進出というのは、あまり聞かない話だと思います。
(日刊工業新聞のHPより拝借しました)
彼の情熱、行動力、フットワークの軽さに頭が下がる思いです。
見習わなければいけません。
そしてもう一つ。
5月くらいに、このペルー向けのバイオトイレに使うLED電球や人感センサー付ソケットの相談を受け、調査、最終的に輸入販売させてもらいました。
どんな形であれ、高校時代の親友と一緒に仕事ができたのは、非常に嬉しい出来事でした。
あとは、LED電球、人感センサーが、ペルーでしっかり仕事してくれているのを、祈るばかりです。
合掌
ケンエン
知識の完全な模写物より、
自分が躰でつかんだ不完全知の方が、
現実界でははるかに有力である。
寺田一清『森信三先生 一日一語』より
学生時代、日本語教師になりたての頃、転職後に営業として働き始めた頃、
今振り返ってみると、
「実践で失敗しないような体系的な知識と、一つ一つの活動の意味と関係性を求め過ぎていた」
ように思います。
今でも多少そのような面が残っていますが、
知識や思惑通りに物事が運ぶことはあまり無く、
むしろ経験から出てくる直感や動物的勘の方が、
案外、的を得ていることが多いと思っています。
マーケティング理論やノウハウで商いがうまくいくのであれば、
皆、商売上手ですが、そういう訳にもいきません。
数字や理論を否定するのではなく、数字や理論では見えないものを感じる感度が、
より大切だとの思いです。
理論と感度(感性)の「ちょうどいい塩梅」
でも、どうしても知識偏重になりがちなのは、自分だけではないような気がします。
どうでしょうか。
「剣道は汗が教えてくれる・・・」
どうしたら剣道が上手くなるかという問いに対する、亡き師の言葉です。
***
昨年11月に四段に昇段してから、殆ど剣道の稽古が出来ていませんでした。
折角、手刺しの防具も購入していたので、そろそろ再開しないといけないと思いつつ、早や1年近くが経過。
今年4月から福岡の家業(有限会社三邦コーポレーション)の一員として働き始めて、母からは「地元の小学校で剣道やっている」という情報は得ていました。
しかし、小学校の体育館でやっている剣道教室は、「小中学生への剣道指導」が主な活動なので、一般のオッチャンがいきなり参加希望で顔を出すことを一寸躊躇っていまいした。
それと、夏の暑いときに剣道を再開すると、死ぬほどシンドイのが目に見えていたことも、剣道教室の門をたたくことを敬遠していた理由でもありました。
情けないことですが。。。
そして、やっと涼しくなってきた10月・・・
中1まで剣道経験のある妹の「久しぶりに剣道見てみたい」という発言が背中を押してくれ、愈々、地元小学校の体育館に稽古見学に行くことに成功しました。
行ってみると・・・
「防具持ってきてもいいですよ」と道場長さん。
1年近いブランクで身体が持つかどうかという不安と、イメージでは結構いい剣道できるんではないか?という高まる期待感を持って、見学初日に稽古参加させていただきました。
結果は・・・
やはり身体動かず、全身筋肉痛のような情けない状況になりました。
しかし、地元でじっくり腰を据えて、これから長く稽古できる環境に出会えた嬉しさが勝っていました。
何の因縁?これぞ剣縁!
驚いたことに、この地元剣道教室の道場長さんが、高校時代お世話になった剣道部の監督の先輩で、今でも非常に懇意にされているという事が判明。
話せば話すほど共通の話題が出てきて、嬉しいやら恐ろしいやら。
まさか地元にこんな方がいらっしゃるとは、思いもよらないことでした。
確かに、福岡と大分は隣県で近いといえば近いのですが、ここまでドンピシャで繋がるというのは一寸神がかり的です。
もう、どんどん剣道の世界に引き込まれそうな気がしてきました(笑)。
合掌
2014年の稲作終盤戦 脱穀から籾摺り | 半農実践 in 山口宇部
推譲は創業の道なり。
分度は守成の道なり。
推譲に因って興らざる者はあらず。
分度によって保たざる者はあらず。
寺田一清『二宮尊徳 一日一言』より
推譲、分度、そして報徳。
二宮尊徳の実践的教えで、中心的な思想です。
家業でも、「推譲」を丁寧に実践していきたいと思っています。
過剰サービスではなく、今の身の丈に合ったことで、お客さんの役に立つこと。
以前お会いしたある会社の社長さんの言葉「先出し」も、
「推譲」に繋がっているのだと思います。
***
10月4日に脱穀をしたのですが、そこから東京への出張等々、仕事の予定が立て込んでいました。
やっと籾摺り…
脱穀が終わってから、仕事しながら籾摺り(もみすり:籾殻を取り除く作業)のことがずっと気になっていました。
しっかり天日干しもして、保冷庫に種籾で保管しているので、焦る必要はないのですが玄米にならないと終わった気がしないです。
そして、去る10月20日に籾摺りを決行。
籾摺り機は、皆で共用しているので、区分けしないと農薬を使った籾殻と混ざってしまいます。去年の反省もあり、今年はしっかり我が家の籾殻を仕分けして確保できました。
去年より植え付け本数を少なくしたのですが、思ったより収量(玄米重量)は落ちませんでした。
一粒一粒が、昨年より大きくふっくらとしており、田んぼを貸してくれている親戚のオジサンが、
「こりゃ、良いコメじゃ。」
と言ってくれました。
これが一番うれしかったです。
さて、新嘗祭が終わったら、この新米を玄米で賞味し、お世話になった友人知人には精米したものを心ばかり贈ろうと思います。
何度か心配な事件もあった今年の有機無農薬稲作ですが、
無事に収穫まで完了し、ホッとしています。
結果的には、去年より手ごたえがあり、来年に向けて一歩前進した気持ちです。
新嘗祭終わって、この新米を食べるのが楽しみです。
合掌