あのとき
生きしにと
よのはかなさを
よくみれば
氷と水と
名のみかわりて
『二宮尊徳 一日一言』(寺田一清)より
3年前の今日、僕は仕事で中国の常州市というところにいました。
お客さんの生産現場での立会確認のアテンドを終えて、まとめをしていたとき、
「仙台空港がえらいことになってますでー」
と関西出身の工場の日本人社長から聞かされたのですが、工場でTVもラジオもなく、唯一の情報源だったYahooニュースを見ましたが、地震速報だけだった記憶があります。
その後もまともな情報が入ってこず、やっと入ってきた情報は、
「仙台空港が浸水している」
ということでした。
それから、もう少し詳しい情報を得ようと奈良の自宅にいる妻に何度も電話する
のですが、全く繋がりませんでした。もちろん東京の会社にも。
辛うじて連絡が取れたのは、同じ日に韓国に出張していたメンバー。
彼らにもまともな情報がなく、とりあえず翌日帰国だったのでホテルに戻りました。
ホテルではNHKが放送されていたのですが、大きな地震が起きたことだけで詳しい被害状況ははっきりしていなかったように記憶しています。
そして、翌朝。
気になってNHKをつけると、ヘリコプターから撮影していると思われる海の様子。
ではなく、南三陸町の市街地でした。
ニュースの解説者は、
「ここに役所があるはずなのですが。。。」
と絶句し、言葉が出ていませんでした。あまりの状況に言葉を失ったということだと思います。
これは大変なことになっていると、その時初めて想像を絶する状況を知ることになりました。。。
あれから3年。
亡くなられた方々のご冥福と、まだなお避難生活を続けておられる方々の一日も早い生活と心の復興を願ってやみません。
残された僕らは、目先の名利にとらわれず、後世の日本と日本人のために、今を誠実に生きるのみであると、改めて思い直しています。
合掌