「半農半あきない」実践録

「自給農」「あきない」を中心とした、日々の所感実践録

父の古希

教育とは流水に文字を書くような果ない業(わざ)である。
だがそれを巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ。

    『森信三先生 一日一語』(寺田一清)より


大学4年の教育実習、卒業後2年間の日本語教師で少し「教育」を齧ったのですが、人に教えるということの難しさ、今でも変わらず感じます。

 

最初は一所懸命に教案を作り、一コマ一コマ必死にやろうとするのですが、忙しくなり慣れてくると沢山あるクラス、沢山ある授業の一つという感覚が出てきてしまっていたことを思い出します。


教育だけでなく、「巌壁に刻むような真剣さ」を意識しながら取り組むこと、反省させられます。

 

               ***

 

昨日は、父と母、兄家族(奥さん、子供3兄弟)、妹、そして僕の嫁さんと娘の11人で盛大(?)に父の古希(数え70歳、満69歳)祝いをしました。


亡くなった祖父母の古希祝をした記憶がないので、正直なところ、「古希」という言葉自体ほとんど馴染みがありませんでした。

 

父が大分で商売をしていたこともあり、この種のお祝いごとで家族集まって、というのは出来なかったのだと思います。


還暦では「赤いちゃんちゃんこ」なんかを贈るイメージがありますが、古希は「紫」だそうです。

 

色にこだわると選べなくなるので、多少は意識しながらも、兄弟それぞれ贈り物を準備しました。
兄夫婦(というか、殆ど兄が選んだと思われる)からは、

 

 ・足マッサージ機
 ・東一大吟醸※佐賀の銘酒です。

 

そして、僕ら夫婦からは、

 

 ・萩焼のぐい飲み
 ・紫色の入ったマフラー

 

を記念品として贈呈。

 

子供らが走り回る騒がしいお祝い会でしたが、父は最後まで笑顔で楽しそうにお酒を飲んでました。

 

孫を膝に笑顔で記念撮影している父を見て、これからも日々、趣味の囲碁、語学学習を楽しみながら、ボケることなく健康で長生きしてほしいと思いました。

 

70歳の父、どのような心境なんでしょうか。


まだちょっと想像がつかないのですが、
僕がその年まで生かせていただいき、同じように古希を迎えたとき、どんな心持でいたいか?

 

これから歩んでいく「今」の延長にあるその将来。。。


いろいろ思いめぐらしたんですが、

 

今と同じ気持ち(身の丈に合った農で足下を見つめ、身の丈に合った楽しい商いで人の役に立つ)でいれたらなぁという結論になりました。


これまでの35年でも色んな曲折あり今に至っているので、これからも曲折あるだろうと思うのですが、自分の生き方として選び決断したお世話になった会社の退職と、妻の両親がいる山口への移住。

 

その選択と決断と実践が間違いないものだと、70歳を迎えたときの自分が、そう思えているなら大成功だと思います。


父がちょうど自分の倍生きてきたことを感慨深く感じた、父の古希祝いでした。


合掌