退職の挨拶
夫(そ)れ世の中の汝等が如き富者にして、
皆足る事を知らず、
飽くまでも利を貪り、不足を唱ふるは、
大人のこの湯船の中に立ちて、屈まずして、
湯を肩に掛けて、湯船ははなはだ浅し。
膝にだに満たずと、罵るが如し。
『二宮尊徳 一日一言』(寺田一清)より
尊徳の例えは、いつも唸るものがあります。
卑近なもので例えてくれ、且つその例えが天理自然のものなので、
誰もが理解、納得できます。
現代の社会。お金がないと生活できない(と思わされている)社会。
自分含めいつも「不足を唱え」てないか。
「もっともっと」と貪っていないか。
本当に必要なのか。
必要最低限ではダメなのか。
日常で問うてみる習慣をつけたいです。
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ここ最近、お客さんへのアポ取りメールのほとんどが、
「ご訪問と退職のご挨拶」
という件名になっています。
これまでの経験上、退職される方はBCCの一斉メールが送られてくることが多く、実際に会って労いと区切りの挨拶をしたことは、殆ど記憶にありません。
本来ならば、今までご縁をいただいた方皆さんに、会ってご挨拶をするのが、本筋なのだと思いますが、便利な世の中になった御蔭でメールで済ませてしまう場面が多いように思います。
確かに、交通費などの経費も掛からないので経済的ではありますが、社員一人一人が確かにその会社で働いていた、共に時間を過ごしたということは、そうそう軽々しいものではないはずです。
便利になること、楽になることで何か人として大切なものを捨ててしまってはいないか、慎重に内省し心尽くせるところは尽くしたいという思いです。
それでも、今の時代、会社の経費を使うことには気を使うのですが、大阪時代にお世話になったお客さんに退職の挨拶に行く機会と経費を捻出してくれた会社に、とても有り難くかたじけない気持ちでいっぱいです。
出会った方全員にはできないのですが、少なくとも深くお仕事でお世話になったお客さんに、会って最後のご挨拶ができることが幸せです。
これから3月末までの3週間くらいの間、一寸寂しい気持ちも感じながら、
精一杯、お世話になった感謝と、自分の退職する動機をお伝えして行きたいと思っています。
合掌