出家願望
君子は君子を友とす。故に益々善に進む。
小人は小人を友とす。故に益々悪に陥る。
夫れ禽獣は猟夫を懼れ、小人は君子を畏る。
畏るれば則ち近かず。
近づかざれば則ち之を如何ともするなし。
~『二宮尊徳 一日一言』(寺田一清)より
類は友を呼ぶ。
同じような価値観、話題を持った人と親しくするのが常ですが、今の自分に無いものを持った人と出会い、新しい刺激を受ける為に、積極的にいろんな場所に行ったり、初めて会う人でもありのままの自分を素直に出していきたいです。
今日は、何故か、ふと中学生の時を思い出しました。
「いま、いま、いま。今が大切」と言っておきながら。。。
中学の一時期、たぶん2年生くらいだったと思うのですが、無性に出家したい願望がありました。
毎週土曜日の早朝5:30に起床し、父と二人で大分市錦町の万寿寺という禅寺に座りに行ってました。
時々、入門希望の方だと思うのですが、お寺の入り口でずっとうずくまってジッとしている人を見ることがありました。
のちに何かの本、『食う寝る座る 永平寺修行記』という本だったと記憶していますが、入門希望者は数日このようにして、やっと入門を許されるというのを読んだことがあります。
そういう一心不乱に純粋に何かに打ち込む姿に、中学時代、憧憬の念を抱いていた時期があったようです。
「お坊さんは、俗世間の垢にまみれず、清く生きていける」
結構本気で、中学生の僕は、そう考えていたと思われます。手塚治虫の『火の鳥』を読んでいた影響もあるかもしれません。
最近になって、ヘアースタイルとたまに着る作務衣のせいで、お坊さんに間違われる頻度が増えているのですが、まだ出家はしてません。
というか、今は全くそんな衝動は起きません。
むしろ、世間で出会ういろんな物事にどう自分が向かっていくか、ということの方が修行としては厳しいものがある、意味があると考えています。
最近は、ちょっとひと悶着あった元部下(今もデスクの目の前に座ってますが。。。)のことが未だに消化できておらず、どうしたもんかというところです。
とりあえす、、、
明日朝は、座禅してから出社しようと思います。
合掌