東京生活と週末農
生身の師をもつことが、求道の真の出発点
~『森信三先生 一日一語』(寺田一清)より~
何かに陶酔しきってしまうことに、若干白けた思いを感じる、冷めた部分が自分にはあると思っています。
特定の宗教や何かを信じ切ってしまう人が、逆に羨ましくも思える時があります。
なので、同じ時代を生きる生身の人間に対して「この人を師と仰ぎたい、徹底的についていきたい」ということにも中々なれません。
ただ、過去の偉人を師としたいという思いは強いです。残された書籍では良いことだけが残っているから、過去の偉人に対する憧れ(=師と仰ぐ)が余計に強くなるという面も確かにあります。
そんな中、今の自分が師としたい人物を挙げるとなると、二宮尊徳と中江藤樹になります。
特に、二宮尊徳の影響は大きいです。
農を生活の重要な部分に位置付けたいというのも、それが二宮尊徳の報徳思想を実践する基礎という思いがあるためです。農作業を通じて、より近くで自然に相対することで、尊徳の教えを身をもって習得し、生活やあきないに生かしていきたいと思っています。
最終的には、農とあきないが絶妙に混ざり合っている生活が理想なのですが、2013年度はその移行期間、準備期間になっています。
妻の実家近くに戻ること、小さな稲作をスタートしたいということで、以前勤めていた会社は、昨年3月末に一旦退職し、4月からは父の会社の社員という立場で、1年契約で以前の会社に出向しているという複雑怪奇な環境になっています。
それで、平日は東京で働き、週末は毎回宇部に戻って田んぼという生活をこの一年間送ってきました。
中途半端と言えば中途半端ですが、10年近くお世話になった素晴らしい会社に最後の恩返しすること、自分の思いを実現させること、この両立を考えたときに出した結論でした。
おかげで、僅かながらでもお米が収穫でき、田んぼを貸してくれている親戚の伯父さん、宇部の親戚、妻の両親とも、今までとは違う良い関係が出来てきていると感じています。
ただ、残念なのは、会社の方に大きな数字を残せることができそうにないこと。でも、最後の一日までやり切ろうと決めています。