人が集う昔ながらの稲作 | 半農半X(エックス)実践3年目 in 山口宇部
才無きを憂えず
才の恐ろしさを知れ
寺田一清『森信三先生 一日一語』より
『夜話』や『報徳記』を読むと二宮尊徳翁も、
天賦の才ではなく、「恩に報いようとする心」「自己の立場で出来る限りの実践」を尊んでいます。
「才の恐ろしさ」というのは、才あるが故に招いてしまう驕り高ぶる心、才無きものを低く見てしまうようなことを指摘しているのだと思います。
才能は自分の努力ではなく、天賦のものであるという謙虚な心でありたいです。僕は大した才能ありませんが(笑)。
今年は実家の商い(福岡で小さな商社)が忙しく、なかなかこのブログを更新していませんでした。やっと落ち着いたので、長崎平和祈念式典の中継を聞きながら、田んぼの記録をまとめています。
人が集まる田
(田んぼ横の小川で魚釣りをする子ら。絡んだ釣り糸を必死にほどくオッチャンの僕)
1年目は、東京と宇部を毎週行き来しながら、親戚の伯父さんや長野にいる田んぼ師匠のアドバイスのおかげで「何とかやった」無農薬稲作でした。
「半農半あきない」と称して本格始動した昨年は、初めて育苗から取り組み、倒伏を免れ、少ないながらも何とか収穫ができました。
そして、3年目の今年は神宮「お伊勢さん」に繋がる品種、イセヒカリに取り組み、親戚から新たに任せていただいた小さな田も加わるという環境になっています。
さらに、今年は、福岡から田植えに駆けつけてくれる方、地元宇部で知り合った方など、これまでに比べると多くの皆さんに参加していただけました。
・サイト製作をお願いしているウェブ関係の方とご家族
・妹が英会話を習っているアメリカ人女性
・自然あふれる環境と農作業に興味があるという2児の母
様々な立場の皆さんに参加いただき、今までに増して賑やかな稲作になっています。
道具の進歩の代償として、段々と人間関係の分断、人の孤立化が進んでしまっている現代です。
そのような流れにあって、「本質的なコミュニケーションの場」が、再び人と人を結んでくれるものだと思います。
同じ作業で汗を流し、自分に出来る役割を地道に行い、互いに思いやり、自己に繋がる先祖の命を感じられる場が
、「本質的なコミュニケーションの場」の一つではないでしょうか。
そして、「昔ながらの無農薬稲作の田」が、その「本質的なコミュニケーション」の場であるという直感しています。
そんな理想を実現したいという思いもあり、「半農半あきない」に取り組んでいます。
田植え直前のイセヒカリ苗の様子から、その後の生育状態の写真、除草風景の写真などを時系列でご紹介しようと思ったのですが、思いのほか文章量が増えてしまったので、今回はここで打ち止め、次回の更新で写真アップしようと思います。
合掌