「半農半あきない」実践録

「自給農」「あきない」を中心とした、日々の所感実践録

通信部隊への配属 | 「通信部隊の裏方話」 ジイちゃんの戦争体験記その2

下関から釜山へ、そして配属先の判明

 (下関から乗船)翌朝、小雨の釜山に入港、付近の小学校で列車のくるまでの一時を待機、列車到着と共に釜山より乗車出発した。

 

この列車の中で、初めて我々の行先が北支大原電信第九連隊であることを知らされた。

 

 

 冒頭の軍歌(※注記)は、我々を受領に来た古参兵の人達が教えてくれた山西派遣隊の隊歌の一節である。

 

私は歌が好きであるためか、五十年経った今でも不思議に忘れることがない。戦友会や何かの時に歌うが、一般の旧式軍関係で北支にいた人でも知らない人が多く、他の人が歌っているのを聞いたことがない。

 

 

 いずれにしても、真夜中に鴨緑江の大橋を渡り、白銀一色の満州の地に入った時は、なるようにしかならない的な気持ちで、運を天に任せる以外にはないと、かえって気持ちが楽になったような気持であったのも事実である。

 

 

 

※注記:寄稿文冒頭に引用した軍歌

 

 火の雲走る大陸の

 空に聳える山幾重

 汗と血潮にそめなえて

 行け山西の地の限り

    

 

「北支」は、今で言う「中国・華北地域」のようです。

グーグルで調べると「大原」というのは、恐らく「山西省太原市」です。

 

つまり、ジイちゃんは、釜山から中国山西省太原市を目指して、鉄道で移動したと思われます。

 

さらに、釜山から山西省太原市までは、北京を経由して1500km以上の距離がありそうなので、鉄道での移動はかなりの長時間です。

 

 

なお、真夜中に通過したと記録している「鴨緑江(おうりょくこう)」は、中国と北朝鮮の国境となっている川です。

 

1月の入隊から現地への移動ですので、この時期のこの地域は極寒であったことは想像に難くありません。

 

僕が仕事でソウルに行っていた時、1月2月はソウルでも氷点下10℃以下で、顔が痛いくらいの寒さだったと記憶しているからです。

 

 

 

「通信部隊だから、前線部隊に比べると死から遠いところにいた」

そんな印象で、ジイちゃんの話を聞いていたと記憶しています。

 

しかし、鴨緑江を渡ったときの「運を天に任せるしかない」という当時のジイちゃんの気持ち、山西省太原市までの距離、極寒の中の鉄道移動、戦争という状況下では「通信部隊だから死ぬことはない」というような安穏としたものでは到底なかったと、今更ながら感じています。

 

合掌