古事記の勉強会 福岡
棟梁の材と細工人の能とは別なり。
人各々得る所あり。
一家に於いて然り。
一国に於いて然り。
寺田一清『二宮尊徳 一日一言』
人それぞれに良さがあり、
人それぞれの生きる生かされる道がある、
という教えだと思います。
壮大な夢を描くのも悪くないですが、
自分の良さ、分度を大切にして、大言壮語せず、地に足着けて丁寧に日々過ごしていきたいです。
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5月18日(日)、先月に引き続き福岡市高宮で、
小野善一郎先生の「古事記の勉強会」に参加してきました。
今回は、
須佐之男命(スサノオノミコト、キーボード変換で一発で出てきました)が、委任された国を治めず、
伊邪那岐命(イザナキノミコト)から一喝されて目が覚め、
清明な心に立ち帰って高天原(たかまのはら)に行くのですが、
そこで自分が清らかな心であることを証明した瞬間に驕りが生じ、狼藉をはたらく、
という場面でした。
原文を読んでも、独特の表現や言い回しが沢山あるので、中々スゥーッとは入ってこないのですが、小野先生の解釈の御蔭で大筋理解できました。
伊邪那岐命が黄泉の国から逃げ帰る場面、今回の須佐之男命が悟った瞬間に驕る場面、どちらも非常に人間っぽさがあります。
「疑ったり、驕ったり、後悔したりして、清明な心に立ち返る」
そういうことが、色んなストーリーで繰り返されているのが古事記のようです。
毎回、古事記の学びと小野先生からのお話を通じて感じていることは、
肉体をもって関わりの中で生きている人間だから、慾もあり、嫉妬、悪口など出てくるのはある程度仕方ないことで、大切なのは日日そういったものを払い除けて、清明な心に立ち返ろうと努力することです。
気張らず、
自然体で今日も楽しんでいきます!
合掌