「半農半あきない」実践録

「自給農」「あきない」を中心とした、日々の所感実践録

いま、いま、いま

先祖の恩徳

おのれが勢、世に行わるるとも、己が力と思ふべからず。
親先祖より伝え受けたる位禄の力と、拝命したる官職の威光とによるが故なり。

              ~『二宮尊徳 一日一言』(寺田一清)より

 

福岡に東林寺という曹洞宗のお寺があります。

 

5年ほど前から、父と母、そして兄が毎月の座禅ウィークに参加しているということで、
帰省のタイミングが合った時に僕も何度か参禅しました。

 

そこで『座禅要典』なる冊子(座り方、作法、般若心経などなど記載されたもの)をもらったことがあるのですが、巻末に書かれた言葉が印象的でした。


 「過去も、未来もない。すべて今だ。今が流れて過去になり、これからやってくる今が未来。よって、いま、いま、いまだ」


というような内容でした。

過去を悔いたり、感傷的になったり、未来を漠然と不安に思ったり、結構、そんなことの繰り返し(今もですが。。。)な自分。

 

「すべてが、いま、いま、いま」という言葉が心の琴線に触れました。

 

確かに、今しか生きれないですね。

単純明快なことですが、意外に「いま」以外のことに心煩わせていることが多い気がします。


ちょっとしたことかもしれませんが、今日、山手線に乗ってた時、東京駅で電車が止まり、中国人と思しき女の子たちが降りていくとき、手袋を落としていってしまいました。

 

電車のドアが開いているのは、ほんのわずかな時間。

この瞬間に手袋を拾って、駆けて行ってあげられなかったことに、至らなさを感じました。仮に自分が乗っていた電車が行ってしまったとしても、すぐに次の電車は来るので、それに乗ればよいこと。

 

その時の「いま」を迷い、行動できなかったこと。些細かもしれませんが、これではダメだと思いました。

こんな時、自然に体が動く、それが「いま」を大切に生きている人間だと思うのですが、どうでしょうか?

 

 

ところで、冒頭に引用した尊徳の言葉。

昔の日本人は何となくというか、当然のこととして先祖の恩徳を感じ、自分の務め(=勤め)を果たしいていたのだと思います。

 

田んぼに行くと、この意味が本当に目に見えて分かるときがあります。

先日は、水路の整備をしていた時に立派な石垣を見たのですが、「ゼロから自分でやってきた、やってこれたことなぞ何一つない」という、かたじけない思いになります。

*去年の初めての稲作で、多少自負していた自分の浅はかさを感じました。

 


自立心、独立心を育てる教育は大切です。

 

しかし、今の自分があるのは、直近でいえば両親や祖父母の積んできたものがあり(お金しかり、家庭内の人生観しかり)、その上に今の自分が「ちょっと自分なりに頑張ってきた」ものだということ。

 

自分の娘にはそんな謙虚で素直な日本人になってほしい、そのために今、僕自身が平生実践する、そんな思いです。

 

まず、朝晩、仏壇に手を合わせ「じいちゃん、ばあちゃん、ありがとう。頑張ります」と心で思うことを習慣づけたいです。


合掌