農
(今年から任せてもらっている小さい下の田。畔の草がすごいです。) 商いの比重が大きくなっている今年ですが、家族の協力のおかげで何とかここまできました。 今日(9月21日)敬老の日から稲刈りスタートです。 福岡から妹と母も来てくれました。 敬老の日…
かなり以前の記録なのですが、頭の整理も兼ねて。 4月12日㈯:種蒔、プール苗床に設置。 5月30日㈯:田植え(総手植え)。 高校生くらいの苗を目指して 昔から「苗八作(なえはっさく)」というくらい、育苗が稲作のかなり重要な部分を占めている、という言…
才無きを憂えず 才の恐ろしさを知れ 寺田一清『森信三先生 一日一語』より 『夜話』や『報徳記』を読むと二宮尊徳翁も、 天賦の才ではなく、「恩に報いようとする心」「自己の立場で出来る限りの実践」を尊んでいます。 「才の恐ろしさ」というのは、才ある…
イセヒカリ、その後の育苗進捗 大阪への出張や福岡での研修と、結構忙しい5月でした。 5月30日(土)に、総勢25名くらいで田植えが終わったのですが、田んぼに植える前の生育記録です。 5月1日(育苗18日目) 5月5日(育苗22日目) 5月14日(育苗31日目) 5…
大道は文字の上にある物と思ひ、 文字のみを研究して、学問と思へるは違り、 文字は道を伝ふる器械にして、道にはあらず、 然るを書物を読みて道と思ふは過ちならずや、 道は書物にあらずして、行ひにあるなり。 寺田一清『二宮尊徳 一日一言』(致知出版社…
翁曰く、 千円の資本にて、千円の商法をなす時は、 他より見て危うき身代と云ふなり。 千円の身代にて八百円の商法をする時は、 他より見て小なれど堅き身代と云ふ。 此の堅き身代と云はるる処に、味はひあり益あるなり。 寺田一清『二宮尊徳 一日一言』(致…
既に4月も月末に差し掛かり、ゴールデンウイーク目前になっています。 稲作を始めてから、ゴールデンウイークは農作業で過ごすというのが、定着しつつあります。 気候の良い時期なので、農作業で適度な汗を流しながら、スゥーと風が首元を撫でていく爽やかさ…
(2014年の田植え風景) 真の教育は、何よりも先ず教師自身が、 自らの「心願」を立てることから始まる。 寺田一清『森信三先生 一日一語』より 家庭での教育者=親 会社での教育者=上役、経営者 となるのだと思います。 3歳半の娘を見ていると、子供の感受…
職業とは、 人間各自がその「生」を支えると共に、 さらにこの地上に生を享けたことの意義を実現するために不可避の道である。 されば、 職業即天職観に、人々はもっと徹すべきであろう。 寺田一清『森信三先生 一日一語』より 4年後、40歳になります。 父が…
一眼は遠く歴史の彼方を、 そして一眼は脚下の実践へ。 寺田一清『森信三先生 一日一語』より 人生を俯瞰し、 そして「今ここで何を大切に実践するか?」 俯瞰と実践も、ちょうどいい塩梅が大切だと思っています。 何のための実践なのか? 実践の結果は得た…
10月末からの中国出張、帰国して間もなく大阪出張と続きました。 その間、田んぼの事が気になっていました。 米の収穫が終わって一安心なのですが、後片付けというか、 来年の準備があります。 出張の合間を縫って11月上旬にした作業 11月上旬というのは、ち…
推譲は創業の道なり。 分度は守成の道なり。 推譲に因って興らざる者はあらず。 分度によって保たざる者はあらず。 寺田一清『二宮尊徳 一日一言』より 推譲、分度、そして報徳。 二宮尊徳の実践的教えで、中心的な思想です。 家業でも、「推譲」を丁寧に実…
死の覚悟とは― いつ「死」に見舞われても、 「マア仕方がない」と諦めのつくように、 死に至るまでの一日一日を、 自分としてできるだけ充実した「生」を生きる他あるまい。 寺田一清『森信三先生 一日一語』 一日一日、できるだけ充実した「生」を生きる方…
真理は感動を通してのみ授受せられる。 だがそれには、教師自身の生きた真理に対する感動こそ、 その根源といえよう。 寺田一清『森信三先生 一日一語』 森信三先生は、教員養成課程の学生たちに修身の講義をされていたので、 教師、教育者が想定されてます…
人間の真価と現世的果報とは、 短い眼で見れば合致せずとも見ゆべし。 されど時を長くして見れば、 福徳一致は古今の鉄則なり。 寺田一清『森信三先生 一日一語』 「因果応報」というと、「悪いことはできんなぁー」と畏れ多くなるのですが、 「福徳一致」と…
自己と縁なき著名人の書を読むより、 縁ある同志の手刷りのプリントを読む方が、 どれほど生きた勉強になるか分からぬ。 これ前者は円周上の無数の一点に過ぎないが、 後者は直接わが円心に近い人々だからである。 寺田一清『森信三先生 一日一語』 *** …
借金を隠蔽するは 益々借金を増長せしむるの途なり。 宜しく之を神棚に飾りて、 念々返済を心かくべし。 寺田一清『二宮尊徳 一日一言』 尊徳(二宮金次郎)の『報徳記』や『夜話』に出てくる領主は、どれも借財で困窮していながら、身に沁みついた贅沢な生…
凡そ世の中は陰々と重なりても立たず、 陽々と重なるも又同じ。 陰陽々々と並び行るるを定則とす。 譬えば寒暑昼夜水火男女あるが如し。 人の歩行も右一歩左一歩、 尺取虫も屈みては伸び、屈みては伸び、 蛇も左へ曲り右に曲り~此の如くに行くなり。 寺田一…
田植えから約50日が経過しました。 全体的には順調だと思います。 しかし、一株5本くらいで分けつが進んでいないところもあり、かと思うと異常に旺盛なところもあるという状況です。 昔ながらの有機無農薬稲作なので、バラつきあるのは仕方ないと思いつつ、…
天地すでに命分あり、人類また命分あり、 これもとより天理必至の符(しるし)にして、 一完不変のものなり。 その命にしたがい、その分を守るが人道の本なり。 分を守るに道あり。 度を立てるなり。 度を立てるに道あり、これ節約なり。 およそ国用を制する…
人間の偉さは才能の多少よりも、 己に授かった天分を、 生涯かけて出し尽すか否かにあるといってよい。 寺田一清『森信三先生 一日一語』 2008年、29歳の時に、半農半Xという言葉に出会い、 二宮尊徳の「報徳」に大きな影響を受けているせいでしょうか。 こ…
6月が終わろうとしています。 福岡・山口は、梅雨らしさが感じられず、人間にとっては比較的過ごしやすい1ヶ月でした。しかし、季節は季節通り廻ってくれないと、何となく不安ですね。 自分で田んぼ始めてから、そんな感じが強くなりました。 *** 2008年…
国に分度なき時は幾万の財を入るるといへども、 破桶に水を入れるるが如く一滴も保つこと能わず。 今子の君家、極難なりと雖も明かに分度を立て 節度を守り仁術を行ふ時は、国の復興難しとせず。 寺田一清『二宮尊徳 一日一言』 借金を返済せず、バンバンお…
コシヒカリ。 言わずと知れた、日本を代表するうまい米です。大学時代のサークル(昔ながらの田んぼの会)でお手伝いしていた田んぼも、コシヒカリでした。 そして、「半農半あきない」という生き方をスタートさせた去年も、農協から購入したのはコシヒカリ…
玄米食は、我われ日本人には「食」の原点である。それ故玄米食を始めると、かえって味覚が鋭敏になる。 寺田一清『森信三先生 一日一語』 自宅では、大学時代に参加していたサークル「昔ながらの田んぼの会」でお世話になった農家の方に、毎年いただく有機無…
我が道は、人々の心の荒蕪を開くを本位とす。心の荒蕪一人開けるときは、地の荒蕪は何万町あるも、憂うるに足らざるなり。 寺田一清『二宮尊徳 一日一言』 心の荒蕪が開ければ、物事に憂いなし。 心強い言葉です。 *** 実は、、、今日。 明日の代かき(荒代…
食事をするごとに心中深く謝念を抱くは、 真人の一特徴というべし。 それだけに、かかる人は意外に少ないようである。 寺田一清『森信三先生 一日一語』 「ご飯を一粒残さず食べる」 「米粒残したら目がつぶれる」 小さい頃はこんなことを毎食、 母や祖父母…
多少能力は劣っていても、真剣な人間の方が最後の勝利者となるようです。 寺田一清『森信三先生 一日一語』 「最後の勝利者」を、どう定義するか? 人によって分かれますが、 自分の「最適解」に向き合い、 その最適解に叶う生き方を実践することしかないの…
米まけば米の草はえ米の花さきつつ米のみのる世の中 寺田一清『二宮尊徳 一日一言』 中国出張から帰ってきて、4月26日(土)、遅れていた苗床づくりをしました。 5畝という小さい田んぼなので、苗はそれほど沢山必要なわけではなく、苗床も育苗箱10枚分くら…
書を読んで躬(み)に行わざる者は、猶ほ鍬を買って耕さざるがごとし。 耕さずんば、則ち何ぞ鍬を買うを用いん。 行わずんば、則ち何ぞ書を読むを用いん。 かつ読書と躬行と相まつは、 なお布綿に経緯あって後成るがごとし。 読書は経(たて)なり。躬行は緯…